
[私の生徒会履歴書 #002 西野偉彦] 「あの生徒会長ですよね?」20年後も覚えられていたワケとは
生徒会長になろうとする思いは人それぞれでしょう。たとえ生徒会活動に問題意識をもっていても、「自分に会長が務まるのかな」「会長になっても何も変えられないんじゃないかな」と迷う高校生は少なくないと思います。そんな皆さんに向けて、今回は筆者の高校時代の話をご紹介します。
経歴 西野 偉彦(元 東京都立青山高等学校生徒会長) 2001年6月 東京都立青山高等学校で生徒会長就任 2002年5月 生徒総会で生徒会規約改正案が可決 2002年6月 東京都立青山高等学校で生徒会長退任 |
「生徒会長だったことは忘れられない」- 思いもよらぬ再会
2022年12月、都内で主権者教育の講演会に登壇した時のことです。帰り際、年配の女性に声をかけられました。振り返ると、その手には色褪せた本が。「えっ!?」- 冊子の名は『讃歌』(写真参照)。母校・東京都立青山高等学校(以下、青高)の生徒会誌で、筆者が在校していた2001年度に発行されたものでした。さらに、その女性は表紙をめくって一言、「あの生徒会長だった西野君ですよね?」と。そこには「あっぱれ (生徒会長 西野偉彦)」と、たしかに自分自身の言葉が掲載されていました。その方は当時、青高に1年間だけ勤務されていた元教員だったのです。「その後もいろんな学校で教えてきましたが、青高の生徒会長のことは忘れられませんよ」と。たまたま講演会の開催を知り、昔を思い出してお越しいただいたそう。思いもよらぬ、嬉しい再会でした。

東京都立青山高等学校の生徒会誌『讃歌』2001年度版(筆者保管)
それにしても、なぜ20年経った今でも「あの生徒会長」と覚えていて下さったのでしょうか。それは、筆者が「型破りな生徒会長」だったからです。
「おれがやらなきゃ誰が」- 突然の立候補に騒然
話は遡り、2000年5月。青高入学後に生徒総会に初めて参加した際、当時の生徒会長が挨拶しているにもかかわらず、私語があふれ、ほとんどの生徒が「その場にいるだけで議事に参加していないこと」に愕然としました。中学生の頃に生徒会長を務めていたこともあり、この状況に憤りを覚えました。とはいえ、中学校で生徒会活動をやり切った気持ちでいたため、モヤモヤした思いを抱きながらもその年の生徒会役員選挙には立候補しませんでした。
しかし、生徒会のことを知れば知るほど、「このままでいいのか」と問題意識を抱くように。高校で生徒会役員をしていないのに会長が務まるのか、体育会系の部活との両立ができるのか、いろいろと逡巡していましたが、周りの友人たちが背中を押してくれます。「応援するから挑戦してみたらどう?」。
そして、翌年の5月、生徒会長選挙に立候補届を提出。副会長が信任投票で生徒会長になることが通例だった当時、生徒会執行部はこの動きに仰天したそうです。選挙では、生徒の意見をオープンに聴く目安箱の設置、議論が活性化するための生徒会規約の改正、部活動の予算配分の見直しなどの「公約」を掲げました。投票前の立会演説では、「高校で生徒会役員をしていないからこそ前例に囚われない改革ができる」と訴えました。2001 年の日本では「構造改革」という言葉が注目されていたこともあり、「生徒会改革を推し進めていく」という筆者の主張は校内で支持され、予想外の高い得票率で当選したのです。
「改革が思うように進まない」- 悩む会長を鼓舞した「ラガーマン生徒会顧問」
こうして生徒会長に就任してすぐ、目安箱の設置や予算配分の見直しなどに着手しました。選挙の熱気もあって当初は順調だったものの、問題は「生徒会規約の改正」でした。前年度から継続していた執行部のメンバーが反発しただけでなく、校内でも「規約改正まで必要なのか」と懐疑的な見方をされることがありました。実際、これまでの生徒会の仕組みやその背景を理解しつつ、組織の問題点をどのように変えていくのかは難題でした。さらに、大胆な変化を求めて応援してくれた友人たちも、進まぬ改革にもどかしさを感じたようで、生徒会長を支持する声は徐々に小さくなっていきました。
「みんなに選ばれたのになぜ…」- 思い悩む筆者を支えたのが、新しく生徒会顧問になった先生でした。彼は当時40代の体育教師で、都立屈指の強豪といわれた青高ラグビー部を率いる名監督。部活指導の合間を縫って、生徒会活動の相談に向き合っていただきました。「何事も変革には時間が必要だ。リーダーは孤独になる時もあるが、その姿を見ている人は必ずいる。粘り強く最後までやり抜こう」- その言葉に何度励まされたことでしょうか。
結果として、何とか周りの理解と協力を得ることができ、「生徒会規約の改正」も実現。1 年かけて、生徒会長としての「公約」を果たすことができたのです。
「生徒会長の経験が活きている」- 生徒会の活性化に今も関わる原動力
青高を卒業後、大学を経て社会人になり、2015年5月から当協会を兼務して今年で10年。今も様々な生徒会活動に関わる原動力は、今回取り上げた高校時代の思い出にあります。全国各地の高校生たちが、かつての自分のように悩みや葛藤を抱えつつ、一生懸命に生徒会活動に取り組んでいることを知っているからです。
冒頭にご紹介した、母校に勤めていた元教員の女性は、「生徒会は高校生にとって身近な主権者教育」という筆者の講演を聞いた後、「あの時の生徒会長としての経験が間違いなく今に活きていますね」と微笑んでいました。「リーダーの姿を見ている人は必ずいる」という生徒会顧問の言葉が、20年の時を超えて鮮やかに蘇ってきた気がします。
生徒会を頑張っている皆さんを、日本生徒会大賞などを通じて今度は筆者が「見る」番です。ただ見るだけではなく、時に励まし伴走していく、そんな生徒会OBでありたいと思っています。
投稿者プロフィール

- 1984年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。専門は18歳選挙権・シティズンシップ教育(主権者教育)・若者の政治参加。2010年4月(公財)松下政経塾に入塾し、塾生(第31期生)・研修局研修主任・政経研究所研究員。2024年7月(株)第一生命経済研究所に入社し、現・ライフデザイン研究部主任研究員。2016年4月より慶應義塾大学SFC研究所上席所員を兼務。(一社)生徒会活動支援協会では、理事長(9年間)を経て2024年5月より副理事長。神奈川県教育委員会にて、2016年5月より「小・中学校における政治的教養を育む教育」座長、2022年7月より「かながわ元気な学校ネットワーク推進会議」委員も務めている。国・自治体・学校での講演、メディア出演多数。
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