[私の生徒会履歴書 #017近藤源樹]中編:外務活動と慶應義塾史―「二次元」の比較研究で合意形成に資する―
前編では、なにゆえ私が事務方役員としての活動に集中したのか、土台となった中学校2年次から高校2年次にかけての出来事に触れてゆきました。「暗黒時代」、「黒歴史」といっても差し支えないほど、悲哀に満ちた経歴でしたが、中編・後編で触れる種々の活動にも関連しますので、ぜひともご一読いただけますと幸いです。
中編の本稿では、事務方役員として行った活動のうち、専門分野としていた外務および慶應義塾史研究(志木高等学校史)について、ご説明します。
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経歴 近藤 源樹(元慶應義塾志木高等学校生徒会本部事務統括担当ほか)
埼玉県生徒会連盟渉外担当・全国生徒会大会2025副実行委員長を務めたほか、慶應義塾塾長賞(一貫教育校)、日本生徒会大賞2025優秀賞(高校生・個人の部)を受賞。 |
専門分野、外務との出会い
私の役員時代の専門に外務活動があります。確立した定義が存在するわけではありませんが、一般的に生徒会外務活動とは、校内での「内務活動」と対比して、他校との交流を主たるアプローチとする、渉外活動ないし情報収集活動をいいます。
慶應義塾志木高等学校(以下「志木高」)生徒会には、従前より外務常任委員長というポストが規約上設置されていましたが、生徒会活動自体の形骸化により、活躍の機会はほとんどありませんでした。事務方として生徒会本部に加わり、この職に就いた後も、母校である立教新座中高との交流事業復活(40年ほど前に「慶立戦」という交流試合が存在したため)以外、注力することもありませんでした。
そもそも、高等学校単独設置かつ全校生徒720名程度の志木高では、生徒会本部は常に人手不足です。新入生数名が加わっても素地の養成には時間がかかるので、上級生は肩書に囚われないスタイルでタスクをこなしていました(そうしないと仕事が回らなかったというのが実情ではありますが)。外務担当とは言いつつもそれは便宜上の分類で、実際は総務・財務・行事運営・広報・デジタル等、手広くやっていたのです(そのおかげで成長した側面もあることを付言しておきます)。
そんな私にとって、本格的に外務活動と出会うきっかけが、2023年4月やってきました。当時、生徒会本部は会員からの要望を受け、慶早戦をはじめとする因縁の相手、つまり早稲田の系列校と何かしらの交流企画を持てないか、策を練っていました。この交渉にて、先方にたまたま生徒会外務活動の世界で活躍されていた方がいらっしゃったため、生徒会外務活動の促進を目的として交流会開催等の活動を行う「生徒会団体」の存在を初めて知り、この年の7月、埼玉県生徒会連盟(以下「埼生連」)第1回交流会に参加するに至りました。

埼玉県生徒会第1回交流会(筑波大学附属坂戸高等学校にて)
多校間交流は本当に刺激的な知的交歓でした。志木高は校則がほぼ存在しないのをはじめ、「自由」で、かつ居心地のいい場所です。しかし、受験を経て同質の男子生徒のみ(しかも進学先も同じ大学)が集まるクローズドコミュニティーであることも否定し難い事実です。この副作用がいかに生徒会活動へ知らず知らずのうちに働いていたのか、他校のドラスティックな事例を聞くたび、思い知らされたのです。この感覚は志木高から参加した他の役員も共有したようで、同年夏の生徒会交流会を経て、「外務施策要綱」策定、「外交青書」の刊行、もって本格的に外務活動(ことに他校との生徒会運営比較研究)を進めることと相成りました。
このように当初2校間の交流を志向していたものの、「棚からぼたもち」的な経緯を経て、多校間交流に進出した志木高生徒会本部は、以降、①慶應義塾内(塾内の一貫教育校生徒会との交流)、②埼玉県内、③塾外・多校間の3本柱で、積極的に外務活動を進める方針で固まり、その実務を私が行っていたのです。

志木高生徒会本部に於ける外務の3分類
(第9回日本生徒会大賞決選大会使用スライドより引用)
埼玉県生徒会連盟運営として
生徒会交流会参加等を通じて他校の活動事例を学ぶ過程では、時として自身が「つなぐ役」、すなわち生徒会団体を運営する側に立つことがあります。私も例外ではありませんでした。
最初お声がけいただいたのは埼生連で、2023年12月から運営に加わりました。企画立案のほか、渉外担当として県内生徒会ネットワークの開拓に携わり、参加者側だった第1回交流会も含めると比較的初期から団体の成長を見届けていました。
埼玉県下はその地域的特性、すなわち①東京大都市圏の中では比較的公立高校の影響力が強く、既存の私立高校中心の生徒会ネットワークには参入しにくい環境であること、②東京都心部との南北の結びつきが強いのと対照的に東西のつながりが弱いことから、ローカルレベルの生徒会外務活動が発達しにくい環境でした。一方埼生連は「埼玉県内の生徒会活動の活性化」、「埼玉県内の生徒会と他地域の生徒会の架け橋になる」という目標を掲げ発足していますので、まさに魁。コネクション作りを担う渉外担当は重責でした。公式SNSのない学校も多数ありましたので、県下の高校をリストアップし、全校に交流会のご案内を郵送する等、可能な限り多数の高校を外務の世界へ引き入れようと奮闘したのは、今や懐かしい青春の思い出です。
企画面も、最初は交流としての要素が強いものから、徐々に本格的な討論へと移行し、埼生連を中心とした独自色の強い県下生徒会交流が定着するに至りました。志木高にとっても重要な外務チャネルとなっていることを顧みるに、運営として携わり幸せだったと感じる次第です。

県下高校へゲリラ的に送りつけた交流会案内の束
能動的学習を伴う生徒会外務の新しい形―全国生徒会大会2025―
もう一つ、私の外務活動を語るうえで欠かすことのできない生徒会団体があります。全国生徒会大会2025(NSCC2025)実行委員会です。
ワールドカフェ形式の討論とグループワークによって構成された前年大会への参加を経て、全国規模の生徒会外務が持つ大きな可能性に気づいた私は、今度は自分が構築する側に立てば、志木高単独ではとても知りえないような生徒会運営事情、外務事情、実務的手法等を学べるのではないかと考え、また志木高生徒会本部が外務活動の理論的裏付けに用いていた「慶應義塾の目的」(義塾の理念のような文章)にある「全社会の先導者」を体現できるメリットもあり、実行委員に応募、合格しました。以降、副実行委員長として、全体管理・調整、企画、会計を主として担い、2025年3月、「全国生徒会大会2025」を開催するに至りました。
準備段階では志木高生徒会本部での経験を活かす、あるいは他の実行委員の知見をもとに活動の方向を決めることもあり、一つの目標に向かいながら切磋琢磨できる、とても良い環境だったと思います。特に参考になる発想・事例は志木高の内務へ輸入し、後編にて述べる生徒会規約改正検討等にも大変役立ちました。

全国生徒会大会2025(東洋大学白山キャンパスにて)
「目標」という言葉がありましたので、それに絡めて補足しましょう。全国生徒会大会2025にとっての「目標」、すなわちコンセプトは「『生徒会的』思考の訓練場」でした。考案者は私です。他の実行委員に遠慮がないとのお叱りは甘んじて受けますが、それでも声を大にして言いたいくらい、このコンセプトには思い入れがあるのです。
そもそも「思考の訓練場」というフレーズ自体、私にとって師匠ともいえる志木高の先生(のちに生徒会担当教員になるとは想像していませんでしたが)が授業で掲げていたものです。講義形式回で教わった公民の知識をもとに、想定状況における特定議案につき、賛成派・反対派に分かれてディベートをする。この流れを繰り返す独特な授業スタイルでした。その授業にて、思考を適切にガイドする「論理」の重要性、および生徒会活動における有用性に気づいた私は、志木高内における事務方役員の養成をはじめ、生徒会活動の種々の場面で論理的思考能力の涵養を重視していました。
しかし、生徒会外務の世界では情報のインプットに終始してしまう場面が多々見受けられ、個人的に大きな違和感がありました。生徒会そのものには、政策実行や行事運営等を組織力を活かして担う行政機構的側面に加え、ルールメイキングをはじめとして価値判断をはさみつつ、利害調整役を担う政治機構的側面があり、両者は密接不可分である以上、後者が特に求める論理的思考能力の涵養は外務でも当然求められるのではないかと、私なりの持論があったのです。
企画部員と何度も話し合い、ほかタイムスケジュールや諸事情と突き合わせながら、最終的には、架空の学校で発生した問題に対し「史上最高の生徒会長」として如何なる解決を図るか、1泊2日、情報収集→立論→ブラッシュアップというプロセスをふんで企画書を執筆する、課題解決型企画を立案しました。

NSCC2025パンフレットでのコンセプト説明
他に類を見ない形式であったこともあり、一から十まで自分たちで作り上げ、当日も想定外の現象に振り回される、大変な仕事でした。当日の運営の混乱でご迷惑をおかけした方が本稿をお読みでしたら、誌面をお借りして不手際をお詫び申し上げます。
しかしながら、他の実行委員や参加者を巻き込む形とはなりつつも、生徒会外務活動の新たな形、ひいては生徒会活動における論理的思考能力の重要性につき、一種の問題提起ができた意味で、私にとって外務活動の「集大成」ともいえるのが、全国生徒会大会2025だったのです。
外務の本質―内務へ還元するアプローチ―
私が生徒会外務活動を進める上で意識していたことが2つあります。
1つは情報の効果的運用です。外務活動はただ他校の役員とお話ししているだけでは意味がありません。その場限りの話題にとどまってしまうようでは、むしろ貴重な生徒会役員としての稼働時間を食いつぶす、マイナスにもなりえます。得た情報をストックするにあたっては、一元化→整理→分析という流れを通じ、自校で活用可能な形に作り変えることが必要です。
近代日本や戦史に関心のある私は、しばしば旧日本陸軍のインテリジェンスに対する弱さが敗戦を招いた要因の一であることを強調し、「表層の文字や形を覚えないで、その奥にある深層の本質を見ること」(堀栄三,『大本営参謀の情報戦記:情報なき国家の悲劇』, 文芸春秋, 1989)を心掛ける、あるいは自校の外務担当に心掛けさせていました。
具体的には、
- 上述の外務3分野(①塾内、②埼玉県内、③塾外・多校間)で得られる情報を特性に応じて一元化・整理し、特に交流会直後は備忘録程度でも構わないので生徒会本部のクラウドへ情報をあげること
- 外務活動の成果を適宜レポートにまとめ、本部内に限らず、校内誌への寄稿等を通じて、可能な限り広く一般会員にも情報公開すること
- 生徒会本部会合でも他校事例を積極的に検討し、実務に応用すること(例として埼玉県立松山女子高校を参考とした生徒総会の視覚化)
など、外務情報の価値を引き出すための多岐にわたる取り組みを推進した次第です。

校内誌に寄稿した外務活動に関するレポート
また、人材育成の場としての外務も重要視していました。「強い事務方」の確立にあたって志ある役員がより実践的に学べるよう、幅広い外部リソースを活用したわけです。
生徒会交流会の参加、生徒会団体運営への役員派遣を通じ、役員一人一人の知見・組織体運営経験が多様化してゆけば、実務・構想両面において、着実に、外務成果の内務への還元を果たせますし、将来的な自校役員養成の仕組み化を見据えれば、外務活動を一プログラムとして確立することは大変有益であると考えます。
後輩役員への外務活動奨励、私自身の広範囲にわたる外務コネクション開拓は、その土台作りにあたります。志木高内の会計規程上、交通費はおろか、イベントへの参加費、遠方での宿泊費も出ない、手弁当での活動でしたが、志木高の外務活動を始めた者として、最後まで責任を持ちたいと考えた末です。
このように、私にとって外務は、進出して間もないからこそという要素もあったものの、あくまで「内務への還元」という目的・本質に忠実であろうとした点で一貫していましたし、自身がそのためのファーストペンギンになることについても、まったく躊躇いはありませんでした。
学校史研究のすゝめ―比較研究に「縦軸」を―
以上では外務活動、すなわち同時代における「横」の比較研究について述べましたが、私のもう一つの専門である慶應義塾史、特に生徒会活動で行っていた志木高等学校史研究は、いわば「縦」の比較です。
1948年の慶應義塾農業高等学校(志木高の前身)開設から75年の節目を迎えた2023年、四半世紀ごとに慶事を記念する義塾の伝統に従い、志木高では多くのプロジェクトが動いていました。そのうちの1つに周年記念誌刊行があったのです。
学校の周年記念誌刊行は、教員側が主導し、生徒の関与する範囲はわずかというケースが圧倒的多数。しかし志木高では、30周年(1978年)、50周年(1998年)時に、生徒会主導の周年記念誌が教員側記念誌とは別に刊行されており、いずれも生徒ならではの批判的目線に立った校史編纂が行われていました。
もともと生徒会本部も75周年記念プロジェクトを検討していた中で、教員側記念誌を担当されていた先生からの後押しもあり、75周年記念誌編纂特設小委員会の設置を決定。以降私はそれを実質的に兼任し、志木高史研究に従事することとなったのです。
そもそも、歴史を「語る」行為とは一体どのようなものでしょう。けだしそれは、解釈が現在からの再構成であり続ける限り、大変権力的な営為ではないでしょうか。例えば、時の権力者や歴史家が「語る」歴史と、いまここにいる各人が「語る」歴史では、しばしば前者が「権威のある」ものとして尊重されます。客観的事実の有無については確かに前者の方が正確でしょう。しかし、ある事実を評価する過程では、常に語り部の経験が作用する、すなわち歴史は語り部に依存し多様であるといえます。では、権威に対抗する術に乏しい各人が「語る」歴史は価値が低いのでしょうか。そんなはずがあるまい。
学校社会でも同様でしょう。学校社会の権力(教職員)が語る歴史によって、生徒のアイデンティティまで歪められるのはおかしい。だからこそ、歴史的アプローチからボトムアップ型の合意形成に必要な基礎情報を提供する校史研究は、生徒による自治活動として貴重なのです。志木高生徒会内でもほぼ同様に整理された目的に従い、75周年記念誌刊行に向けた校史研究が進められていました。
私は特に、史料収集・整理とオーラル・ヒストリーの保全、いわゆるアーカイブ・ワークを中心に、塾史・志木高史を研究していました。OBに連絡を取ってインタビューをしたり、地元の図書館でコミュニティレベルの地誌資料を読み漁ったり、志木高内の倉庫を家捜しして史料を発掘したり(しかも出てきたのが劣化しやすい酸性紙の史料で扱いに困る)、果ては義塾の三田キャンパスへ文献目当てに行くなどなど……。骨の折れる作業でしたが、散在していた史料を一通りリストアップできたこと、充実した史料をもとに、10名と少数ながら、編纂委員全員が熱心に批判的目線に立った論考をしてくれたこと、実践的な歴史学的調査手法を学べたことを踏まえると、貴重な機会だったと思います。

現存する最古の収穫祭(文化祭)招待券
資金は義塾から出してもらいつつ、教職員は口を出すなという、やや乱暴なやり方ではありましたが、最終的に192ページからなる大作、『75年記念誌』(慶應義塾志木高等学校生徒会,2025)を刊行し、志木高史研究の成果を発表するに至りました。生徒目線での志木高等学校史編纂は高く評価され、編纂委員は慶應義塾の塾長賞(一貫教育校)を受賞しました。志木高生徒会の快挙です。
全て終わった今だからこそいえることですが、外務を担当していた私が、巡り合った機会に接し、志木高史の研究にも従事したのは「必然」だったのでしょう。上述の通り外務は同時代における「横」の比較であるのに対し、校史研究は現在地の過去を考える「縦」の比較です。自分のアイデンティティを知らないことには、横の比較もままなりません。当時の私は無意識に、そのアイデンティティの探求を歴史的アプローチに求めた。そう考えると筋が通ります。
現に校史研究の過程では、文化祭の在り方を巡ってほぼ周期的に生徒会内での紛争ないし教員との対立があったこと、生徒会組織・実務の変容、独特な生徒会成立過程が明らかとなり、自治活動の切り口から、志木高生のアイデンティティとはなにか、問いを持ちましたし、外務にも影響を与えました。「縦軸」と「横軸」からなる二次元の比較研究がなければ、このような経験も生まれませんでした。
本稿をお読みの方のなかに生徒会外務活動の関係者がいらっしゃいましたら、歴史的アプローチに限らず、何かしらご自身のアイデンティティを知るため、「縦軸」を持つことをおすすめします。

(慶應義塾志木高等学校生徒会『75年記念誌』2025)
後編に続く……
外務活動と志木高史――全く交わることのなさそうな両者は、私にとって車の両輪でした。事務方の生徒会役員として、実務のみならず、健全な合意形成に資するために必要な情報提供を担う上でも、「二次元」の比較研究は大きな武器となったのです。
アプローチは違うものの、結局「物事の本質をとらえて、筋道を通った議論をする力」は両者求められます。また意思表示をしたいならば、話すこと・書くことのお作法も必要です。生徒会活動を通じて、それらを学んでみるのもいいでしょう。母校のためのみならず、卒業後、大学生活等、次のステージでも大変有用、自分のためにもなるのです。
実際に私も、外務・塾史研究をはじめ、生徒会活動で学んだことが、数多く大学生活で役立っています。塾史研究に至っては、学部学科の専門とは異なりますが、現在でも個人的に継続しています。
ぜひ、卒業後も誇れるような、生徒会役員としての強みを持ってください。母校のために実践してください。応援しています。
さて、本稿で触れた外務・塾史研究は、主として内務に必要な情報を収集・活用するための過程でした。では事務方役員のまとめ役だった私が、具体的にどのような内務活動へつなげていたのか。後編では志木高内での活動を詳細にご説明します。
【文】近藤源樹 (慶應義塾大学法学部法律学科 2年)