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[私の生徒会履歴書 #004 荒井翔平] “外”とつながり“内”を見直す——新校舎の風が吹いたあの年、生徒会から進路も人生も変わった


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新校舎が竣工した2006年。高校1年の夏、まだ何もわからなかった頃に、2学年上の先輩に声をかけられて生徒会会計となったのが生徒会役員になったきっかけでした。最初は「なんとなく」加わった記憶がありますが、振り返ってみると、このときの出会いと経験が、自分の価値観を大きく広げるきっかけになったのだと感じています。

経歴

荒井 翔平 (工学院大学附属高等学校 元生徒会会計)

2006年8月 工学院大学附属高等学校で生徒会役員に就任

2007年8月 生徒会広報誌ネットワーク設立

2009年3月 生徒シンポジウムの初回開催

2009年3月 多摩生徒会協議会を設立

2009年6月 大学入学後、一般社団法人 生徒会活動支援協会を設立、理事長に就任し2022年度まで務める。現在は常任理事。

 

私が役員を務めていた当時の高校は、新校舎が完成し、生徒たちも先生たちも「これからの学校」を意識しはじめた頃でした。校内には前向きな空気が流れていましたが、生徒会の立ち位置というのは、現在ほど重要視されていたわけではなく、「文化祭や行事、エコ活を運営する人たち」といった程度の認識だったように思います。

生徒会会計にも就いていましたが、それ以外にも広報担当として、生徒会ウェブサイトを設置・運用し、地道に更新していたこともあります。当時はCMSのシステムもなかったので、HTMLでコーディングをしてアップロードを繰り返していました。今となっては考えられないレガシーの作業です。

そんな中で私が出会ったのが、その後に一般社団法人 生徒会活動支援協会を立ち上げ現在も理事も務める芳賀達也さん(以下、芳賀さん)と一緒に立ち上げた「生徒会広報誌ネットワーク」でした。学校を超えて生徒会役員たちが集まり、毎年生徒会誌を交換し、隔月で勉強会と検討会を開くというもので、私は運営メンバーとしてこの活動に参画しました。今でこそ、学校外との連携や自治について深く語り合う場は増えているのかもしれませんが、当時の私にとっては、「学校の外にいる、同じように悩んでいる誰か」とつながること自体が新鮮で、刺激的でした。

とくに印象に残っているのは、参加者同士で語り合う中で「生徒会」のあり方が学校ごとにまったく違うという事実を突きつけられたことです。運営スタイルや権限の大きさ、生徒と学校の関係性──どれを取っても同じ「生徒会」とは思えないくらいの差があることに、驚きを隠せませんでした。そのネットワークの縁で、2008年(開催は年度末の2009年3月)には「生徒シンポジウム」の立ち上げとなり、さらに「多摩生徒会協議会」の設立にも関わることになりました。

スマートフォンが普及する前の時代、こうしたネットワークは高校生の私にとって、いわば“リアルSNS”のようなものでした。顔を合わせて語り合い、文通のように資料を送り合いながら、人と人がつながっていく──そんな原始的だけれど温かな人脈のなかで、自分の視野が大きく広がっていったのを覚えています。

もちろん、私自身が何か大きな制度改革を起こしたわけではありません。でも、会計という立場で予算を見たり、企画と数字のバランスを考えたりしながら、学校の中で「どうすれば納得感を持って進められるか」を模索した経験は、今思えば、社会に出たあともずっと役に立っています。

当時の活動が、その後の私の進路や人生にどれだけ影響を与えたか。思えば、生徒会に入るよう声をかけてくれた先輩は、私にとってひとつのマイルストーンでした。大学進学も、就職先の業種も、結果的にその先輩と同じ道を選んでいました。もしも、生徒会に入っていなかったら──私の人生は、今とは全く違うものになっていたのかもしれません。

また、生徒会本部での活動は、環境マネジメントシステムの推進という、今で言うところのSDGsの源流のような取り組みが中心でした。校内だけでなく、足尾銅山での植樹活動に参加したり、エコプロダクツ展を見学したりと、積極的に外に出て活動する機会も多くありました。高校生環境サミットでは、他校の生徒と協働してプレゼンを行うなど、「外務活動」も自分の軸のひとつだったと感じます。

そんな活動の中で、芳賀さんとともに構想を進めたのが「生徒会活動支援協会」でした。生徒会広報誌ネットワーク、生徒シンポジウム、多摩生徒会協議会、芳賀さんはそれ以外にも、首都圏中学校生徒会連盟や首都圏高等学校生徒会連盟なども設立されていました(詳細は「新しい生徒会の教科書」をご参照ください)。──こうした取り組みの延長線上で、「中高生のための枠組みをきちんと支える仕組みが必要だ」と強く思ったのは、高校3年生の卒業を控えた時期だったと記憶しています。

私が、設立から約15年経過した現在も継続して協会の運営に関わり続けているのは、「あの時の自分たちのような高校生たちに、ちゃんと支えとなる場所を残しておきたい」と思うからです。制度的にも、精神的にも、横のつながりがあれば、やりたいことを実現できる。そんな経験をしてきた自分だからこそ、次の世代にもその環境をつなげたいと思っています。

生徒会という場所は、小さな自治の実験かつ経験の場であり、社会との接点でもあります。「代表になること」が目的ではなく、「自分たちの手で社会を少しでもよくすること」が、その根っこにはある。そう信じて、私はこれからもファーストペンギンであり続けたいと思います。

いま、高校生を取り巻く教育の現場は、私が過ごした時代と比べてもずいぶん変わってきたと感じています。直近では「校則改正」といった言葉が社会的に注目され、生徒の声が社会を動かす可能性が語られるようになりました。けれど、こうした動きも一時的なムーブメントで終わってしまうのではないか──そんな危機感も同時に抱いています。

だからこそ、生徒会活動支援協会を「任意団体」ではなく、「社団」として立ち上げました。これは、思いつきや一過性ではなく、「次の世代にきちんと引き継いでいくため」の選択でした。

この文章を、どこかの誰かが読んでくれているとしたら、ひとつだけ伝えたいことがあります。どうか、積極的にいろんな人と関わってください。そして、自分の考えや感じたことを、遠慮せずに発信してください。

あなたの声が、学校を変え、社会を動かしていくきっかけになるかもしれません。

投稿者プロフィール

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荒井 翔平
1991年東京都生まれ。東京都市大学環境情報学部環境情報学科卒業。一般社団法人生徒会活動支援協会代表理事、一般財団法人国際交流機構理事、私立大学環境保全協議会運営委員などを務める。2009年に生徒会活動支援協会を立ち上げ、生徒会活動に関わる様々な支援に取り組む。2010年に幅広い分野で社会的活動を行う、一般社団法人日本学生会議所を設立。