[私の生徒会履歴書 #008 猪股大輝] 後編:「生徒会大会」の火付け役が全力で取り組んだ学校での生徒会活動と反省
「生徒会大会」が大成功し全国大会にも繋がっていた頃、学校内でのいわゆる内務活動にも力を入れて取り組みました。後編は、そんな学校での活動についての話です。
前編はこちらから
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経歴 猪股 大輝(桐朋高等学校生徒会 元 総務委員長(生徒会長))
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「自治」に励んだ生徒会活動
前編で書いたように、中学校2年生から高校2年生までの4年間の生徒会活動の中で「生徒会大会」の設立など、学校外での活動(外務活動)にも積極的に取り組みました。一方、全校生徒から選ばれた生徒会役員として、学校内での活動(内務活動)を充実させることも不可欠です。特に会長(総務委員長)となった高校2年生では、外務活動にもまして、内務活動に力を入れました。

母校の桐朋の総務委員会(生徒会執行部)は、生徒総会の開催運営、生徒からの意見収集、生徒会企画の実施、クラスの代表者で構成される生徒委員会の運営、外務活動への参加に加え、中高の生徒会役員等で構成される中央委員会を主宰し、生徒会会計全体の管理や各部の代表者が参加する委員会の運営など、生徒会の自治的活動を一手に担う組織でした。
このように多岐にわたる活動の中で、ここでは大きく私が取り組んだことを3つ取り上げたいと思います。
1つ目に生徒会に関するルール作りです。私の代では会則に準じる中央委員会の仕組み(内規)づくりを行う3年がかりのプロジェクトを完成させました。それまで、委員会の運営は場当たり的で、都度教員に照会すると、引き継がれていない過去の内規が突然出てくるといった状態でした。内規づくりにあたっては、過去の内規を教員に照会して全て洗い出し、必要性を再検討しながら生徒自身で全て新しい内規として作り直す形がとられました。私の代では、この活動を引き継ぎつつ、特にクラブ・同好会の新設改廃について、本来生徒会の権限であるにもかかわらず教員側でしか基準が引き継がれていなかったことから新たにルールを明文化しました。
2つ目に生徒からの意見収集活動です。私の代ではちょうど食堂運営業者が変更となり、提供の仕方などについて生徒から意見が出ていました。この点について、ホームルームの時間を使って高校生全員に食堂に関するアンケートを配布、回答を集める活動を行いました。結果は、食堂業者・教員・生徒全員に素早く共有して生徒の意見を届け、運営の改善に繋がりました(この年度はデザインが得意な同期の役員がいて、前編の「第二回生徒会大会」のビラを含めいろいろな広報物をデザインしてくれました)。

3つ目に、かつ最も力を入れたのが生徒会会計に関する問題です。
桐朋では、生徒会会計に関するほぼ全てを生徒だけで行っていました。なかなかユニークな取り組みだと思うので仕組みを詳しく書くと、まず予算作成にあたっては、年度末に各部活・委員会から概算要求を提出させ、執行部と各部・委員会の代表生徒間で予算折衝を行って予算案を決めます。折衝では、前年度額と希望額を比較しながら、部員数、部員一人ひとりあたりの予算外の自己負担額、過去数年の備品に対する予算措置状況と更新の必要性を加味し予算額の交渉を進めました。限られた予算枠に収めたい執行部と、なるべく多く予算を獲得したい各部で連日折衝が重ねられました。
こうして作られた予算案が総会で議決されると、執行も生徒会の会計担当が「会計ハンドブック」に基づき証憑管理・提出のルールを決め各部活に周知するなど主体的に進めます。監査も年2回生徒たちが行っていました。また、関東圏外への遠征や、活動に不可欠な備品が壊れるなど、多額の追加支出が必要となった場合には、中央委員会で審議し、遠征費や予備費を用いて活動を補助する、といった取り組みを続けていました。
これだけでも随分大変な取り組みですが、当時はここに2つの問題が持ち上がりました。それは学校側が進めていた学級定員削減による生徒会予算収入の漸減と、2014年4月からの消費税増税により実質的な物価高騰が見込まれたことです。
このような状況で各部・委員会の活動を維持するために、いくつかの取り組みをしました。まず、遠征費について、従来は生徒会予算とPTA予算双方から一定額を支出していましたが、PTA予算の繰越が多くなっていることを見つけ、PTA予算から全額支出してもらうよう交渉しこれを実現しました。それでも予算規模の縮小が見込まれたため、毎年度の繰越金から定額を生徒会予算収入に組み入れ、予備費を確保しつつ予算減少幅を緩やかにする仕組みを作りました。さらに、不足分を補うべく他校と比して生徒会費が長く変更されず割安であったことに目をつけ、生徒会予算減少の見込みをまとめ増額を訴える資料を作成して学校長まで交渉し、生徒会費増額の内諾を得ました(後の代で実際に生徒会費増額が実現しました)。これらをまとめて、おおよそ130万円ほどの生徒会収入増額を実現し、各部活・委員会に配分できるようにしました。

当時の引き継ぎ資料を見ると、1年間で生徒総会を3回、総務委員会の定例会が20回、その他に関連委員会を計36回開催、生徒会活動の内容を伝える広報紙を年13号発行、180ページにわたり1年間の活動をまとめた「生徒会白書」の刊行、外務では高生連に5回、多摩生徒会協議会に5回、生徒会大会にそれぞれ参加、その他にも姉妹校との意見交換会や近隣校との合同清掃など多くの活動を行っていた記録が残っています。また、年度末にはこれも桐朋の伝統であった1泊2日の「生徒会合宿」を行い、新旧役員と顧問で集中的に引き継ぎを行いました。これらは、自分ひとりではなく、周りの役員や委員、他校の仲間たちの頑張りを総合したものですが、我ながらこれらをまとめてよくやっていたな、と振り返って思います。
生徒会に打ち込んだ4年間と今
当時の私は、物事を根本的に変えるようなアイディアをゼロから打ち出すよりも、今できる改善点を見つけて、自分から手を動かして実現しようとするタイプでした。「やってみたい」と決めたことに向けて自分から誰にも負けないくらい実際に手を動かしていたら、運の良いことにそれなら手伝ってやるかと一緒にやってくれる仲間が出てきて、結果的に上でまとめたようないろいろなことが進みました。もし、今生徒会活動に取り組んでいる人たちがこの原稿を読んでいるとすれば、まずは「やる」と決めたことを自分からできる範囲で誠実にやってみる、ということを繰り返してみることをおすすめします。この繰り返しが信用となり、いろいろな人が仲間になってくれてうまく物事を進めることができると思います。
一方で役員を引退して以降、自分の取り組んでいたことの多くが、何かを進めるために企画書や報告書などの文書資料を作ったり、根回しや調整をしたりと、どちらかといえば行政的(事務的)な内容がほとんどだったことに気づきます。自分が行ってきた生徒会活動は自分のスキルアップや学校生活の改善にはつながったものの、生徒会が本来目指すはずの民主的な学校や社会づくりのために資するところがどれだけあったのか、と疑問を持つようになりました。この部分を突き詰め、自分がやってきたことは何だったのか、もっと言えば生徒会とはもともと何なのか、ということを調べていたら、気づいたら研究者にまでなってしまいました。この話は機会があれば、また書こうと思います。