[私の生徒会履歴書 #016近藤源樹]前編:事務方が健全な民主主義を支える―実践的生徒会活動を目指して―
慶應義塾大学法学部法律学科 2年生 近藤源樹です。
私は、一般社団法人生徒会活動支援協会の構成員ではありませんが、ご縁あって「私の生徒会履歴書」に寄稿する機会を頂戴しました。
中高通算3年にわたって生徒会役員を務め、健全かつ実践的な生徒会運営に求められる「強い事務方」の必要性を痛感し、その強化に奔走した過程(とその寄り道で行っていた活動のいくつか)を、前編・中編・後編に分けてご紹介します。
前編の本稿では、私が生徒会役員としての道を選び、事務方へ注力するに至った動機、具体的には、①役員になった理由、②中学校在学中の活動、③高校にて役員に復帰した理由、④事務方にフォーカスするまでの経緯の4点を明らかにしたいと思います。
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経歴 近藤 源樹(元慶應義塾志木高等学校生徒会本部事務統括担当ほか)
埼玉県生徒会連盟渉外担当・全国生徒会大会2025副実行委員長を務めたほか、慶應義塾塾長賞(一貫教育校)、日本生徒会大賞2025優秀賞(高校生・個人の部)を受賞。 |
自白―欲と嫉妬にまみれた会長選出馬理由―
私が初めて生徒会活動の中枢に携わったのは中学校2年次になります。
もはや時効なので白状しますが、その動機は、会長の権限を利用して、所属していたクラブの予算を増額させようとする、極めて不純なものでした。ジオラマ・模型等を扱うクラブであり、みるみるうちに金が溶けていく割には僅かな金額しか予算が割り当てられていなかったため、裏から生徒会予算増額工作を図ったのです。さらに、1年次の末には同級生の人気者が会長選挙で当選しましたが、生来人気者や主流派に反骨的でありましたので、「あいつが会長なら俺だって務まる」という妙な闘争心が芽生えた末、翌年度生徒会長選挙に立候補しました。
選挙運動は滅茶苦茶でした。相手は現職かつ人脈も広いですから、ただ公約を訴えるだけでは歯が立たない。男子校は異性の目もなく、バカなことをやったもの勝ちという環境でしたので、ウケ狙いに特化して自分の名を広げてゆきました。例を挙げるときりがないですが、政見放送にて、校内使用禁止の携帯電話にかわり、バナナをそれに見立てて演説したこと、指名手配風選挙ポスターを作成したことは強烈に記憶しています。数年後、生徒会活動に蔓延るポピュリズムに飽き飽きとさせられるとは想像もせず、むしろそれに迎合していた、一連の私の生徒会活動において、大きな皮肉であります。
かくして、生徒会長、近藤源樹は誕生したのです。
生徒会長としてクリスマス礼拝で聖書を朗読する当時の私
ミイラ取りがミイラになるまで
しかし、目的である予算工作は、私が会長になったところで直ちに達成されるような単純なものではありませんでした。当時の所属校(中高一貫校)では、形式上中学・高校で生徒会組織が独立して存在していたものの、予算の権限は完全に高校生徒会側に握られ、中学生徒会側のコントロールは及びませんでした。「なぜ同じ自治組織なのに自律性に差があるのか」と疑問を持ちつつも、そもそも当時の中学生徒会は組織自体が脆弱、かつ生徒からの期待は皆無で、とても生徒の信任を得た代表者として、対等に教職員と金回りを話し合える状況ではありませんでした。事前リサーチを一切していなかったため、会長就任後になってこれらの事情を知り、愕然としました。
そこで、数の力で押し切る、あるいは将来同じ魂胆で会長を務める野心家が出現した際に備え、一般会員が積極的に生徒会活動に参画するベースを創り出そうと、それまで叶える気もなかった公約を、一般会員に開かれた形で実現すべく、種々のプロジェクトに着手しました。
代表例を2つご紹介しましょう。
1つはスクールバスの増便やスマートフォンの使用解禁に向け、生徒の声をアンケートで可視化する取り組みです。これらは会長就任前から毎年選挙の争点となっておりましたが、実際どの程度のニーズがあるのか、定量的検討には至っていませんでした。コロナ・パンデミックのさなか、オンライン授業のため学習支援システムが導入され、デジタルツールが中高生も比較的身近に感じられる環境下ではありましたが、実務上の制約からデジタルではなく紙媒体で行わざるを得ず、回答用紙を一枚一枚精査して結果をまとめなければなりませんでした。準備・交渉・分析段階も含めればアンケート調査だけで5ヵ月かかりました。

立教在学中に実施したスマホ利用に関するアンケート調査
もう1つは他校との交流です。立教学院には立教新座中高のほか、国内に立教池袋中高が、ほか法人は違うものの、歴史的に縁の深い学校として立教女学院があります。これらの学校生徒と連携することにより、新たなクラブ合同活動の創出や、新座中高単独では集客力に課題があった文化祭の改善につなげられると考えたのです。後に専門とする外務活動とは異なり、生徒会活動の比較研究材料としてではなく、レクリエーションとしての性格が強い計画でした。ですが、これも先方との交渉が折り合わなかったことや教員の反対が根強かったことから頓挫。生徒会団体等を介さない(当時は存在も知らなかった)独自のパイプに頼っていたことに加え、事務面での不手際があり、夢物語と消えてしまったのです。
結局これらの施策は当年度中に実現に至りませんでしたが、振り返るにこの経験が、①生徒会活動の可視化、②組織を効率的に回すための事務方役員養成、③デジタルツール活用の必要性を強く意識させ、高校進学後の活動に大きな影響を与えました。
読者の中には既にお気付きの方もいらっしゃるでしょう。「最初と打って変わって自ら積極的に生徒会活動をしているではないか」と。そう、決してレベルが高かったとはいえませんが、会長任期中の私は生徒会活動の楽しみを覚えてしまった。「ミイラ取りがミイラになった」とはまさにこのことです。
「志木高が好きすぎて」役員に復帰
高校進学時に立教から離れ、(とはいっても最寄り駅が一緒の)慶應義塾志木高等学校(以下「志木高」)へ進学しました。立教で行った生徒会活動は立教のためであって、慶應のためではないと、当初生徒会活動を再開するつもりはなかったのですが、端的にいえば「志木高が好きすぎて」生徒会役員に復帰しました。
美しい自然あふれるキャンパス、個性が氾濫している教員・生徒、専門性の高い授業、「慶應義塾」と「志木」がクロスする独自の牧歌的カルチャー……それらを後輩たちへ受け継ぐお手伝いができるならば、これ以上の喜びはないと考えたのです。

稲作は志木高の牧歌的カルチャーの一つ
これだけでは慶應に染まっただけの信者(母校愛強めの人が多いのは本塾の特徴ですが)に思われるものの、しっかり実践的な理由もあります。
志木高1年次、私はコロナ・パンデミック後初の文化祭にむけ、クラス展示の準備を異様に張り切っていました。企画過程等では当然文化祭実行委員会とのやり取りも生じますが、正直先方のオペレーションが目も当てられないくらい杜撰で……。書類のやり取りや伝達は遅いうえ、全体管理も非効率的で、「自分が運営側ならば、もっと上手く運営できるのに!」と何度思わされたことか。パンデミックの為1度のみではありますが、中学校で文化祭を経験していたのも、そう感じた要因の1つでしょう。
以上の理由から、再び生徒会役員となり、志木高の自治活動を先導しようと考えた次第です。当時、私にとって先々代にあたる生徒会本部役員が魁となり、パンデミック後の活動再興に注力されていたことも、本部役員として活動する決意を後押ししました。
当時の会長に連絡を取り、1年次の冬、2023年1月15日付で本部役員の幹部、外務常任委員長を仰せつかり、渉外活動を中心とした生徒会本部の実務を行うこととなりました。
衝突と敗北―選挙は「正しさ」を反映するか?―
詳細なご説明は中編、後編に譲りますが、私は役員復帰後、着実に外務、内務、財務、行事運営等、生徒会実務で実績を残していました。しかしその一方、少なからず一般会員からの反感を買っていました。
志木高は「日本国憲法が校則」と呼ばれるほど自由な学園生活が最大の特徴、すなわち生徒会機構が機能していなくても、個々の活動が自律的に行われる環境でした。にもかかわらず、生徒会活動が復活して、本部役員が様々な活動に直接・間接的に介入するのは、たしかに各団体にとって不都合であったでしょう。
心当たりある範囲でも、予算案調製で各クラブ、文化祭運営支援の過程で文化祭実行委員会と大揉め、新歓で強引な勧誘を行っていた某クラブと対立などなど、当時の私、よく刺されなかったなと思います。

文化祭実行委員会と対立された際に寄せられた批判(一部)
元々性格が悪いことは自覚していますが、それらの影響もあり、会長に立候補した24年度選挙では、積み上げた実績と組織力の強化を通じた生徒会活動の更なる強化、生活環境向上に向けた自販機キャッシュレス化等をひっさげて勝負に出たものの、結局同学年の人気者に僅差で敗北しました(この際3人の候補者がいたのですが、うち1人は票の分散を通じた近藤当選妨害を図る泡沫候補だったくらいに嫌われていました)。
たしかに、当時の本部役員としての活動を顧みるに、個々の場面において、手段としての相当性が認められるかと言われると、反省の余地も残るところです。
しかし、それらはあくまで生徒会規約の規定・趣旨と実務の条理に従い行っていたもので、合理性自体は決して否定されるべきものでなかったと未だに確信しています。少なくとも、人気取りのつもりで生徒会組織の最高責任者である会長に立候補するような行動よりかは、価値のあるものだと考えます。
以上から、私はこう考えました。「選挙は『正しさ』を反映しない」のだと。いかに筋の通ったことを言っても、いかに実現性の高いプロセスを提示しても、有権者はそれで動かないのだと。ある種の不信でありますが、あくまで事務方役員として、理論・実践双方の立場から生徒会運営に携わっていた私からすると、現実に向き合わず、有権者に迎合して保身を図るような、一種のポピュリズムに呑まれるのは、何があっても受け入れがたかったのです。
事務方としての決意
会長選には敗れたものの、新会長が生徒会運営実務に全く疎かったこと、その他種々の事情が重なり、私は本部事務統括担当、すなわち事務方のまとめ役として役員を続投することとなりました。
選挙結果自体は尊重すべきものゆえ、執行機関内における最終的な意思決定等は新正副会長に委ねていましたが、施策立案、組織管理等は事務方役員が行うこととなったので、これを機に、実務面から生徒会組織を確立し、「生徒の声」を錦の御旗とした空中戦を展開してくる校内ポピュリズムに負けじと、理論・実践双方からの裏付けを行い、判断過程における適切な情報提供を担う「強い事務方」を構築することを決意しました。
「健全な民主主義」とは何か。実践的生徒会活動を志向し、民主主義の過程に疑義を持った、志木高2年生の冬でした。

離れの生徒会室は、夜遅くまで会議が長引くと辺りが真っ暗に…
中編に続く…
私の生徒会活動は常に順風満帆とは言い難く、むしろ暗黒時代のほうが長かったと思います。強欲、傲慢、嫉妬、怠惰、憤怒――罪深き、かつ常軌を逸した役員半生を送りました。
しかし結果的に事務方として落ち着き、その分野で光ることになるとは、当時全く考えが及びませんでした。お見苦しい内容、文章ではございましたが、生徒会役員の多様なバックグラウンドをご理解いただけますと幸いです。
中編以降は上述の経緯を踏まえた上で、事務方役員として具体的にどのようなことを行っていたのか、専門である外務および慶應義塾史研究(中編)と、内務、事務・管理(後編)に分け詳細にご説明いたします。
【文】近藤源樹 (慶應義塾大学法学部法律学科 2年)