全ての生徒が安心して通うことのできる学校をつくる生徒会活動: 第10回日本生徒会大賞 受賞者インタビュー 山田結翔さん
2026年の「第10回日本生徒会大賞」個人の部の日本生徒会大賞には、国立音楽大学附属高等学校の生徒会長として活動に取り組んだ山田 結翔さん(以下、山田さん)が選ばれました。
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山田さんは、生徒会規約の改正や意見箱で投書された意見への応答の仕組みを整備するなどの生徒会改革に取り組む中で、こうした改革を実質化するためには、すべての生徒が安心して通い、主体的に活動できる学校環境が必要であるという現実に直面します。こうした現実に山田さんはどのように立ち向かおうとしたのか。その取り組みと活動を支えた考え方に迫ります。
生徒会活動の基盤としての「安心」して活動できる学校づくり
山田さんの通った国立音楽大学附属高校には、音楽科・普通科の2学科が設置され、さらに附属中学校があります。従来は、この3つそれぞれに委員会や部活動が独立して設置されたり、会長を含む役員が選出されたりしていて、学校全体で行う行事である芸術祭(文化祭)について話し合う際など限られた機会のみ情報交換がなされる形をとっていました。
山田さんは続くインタビューにもある通り、2024年度(高2)・2025年度(高3)の2年間にわたり音楽科生徒会長を務められたそうですが、1年目に会長になった際に、芸術祭準備を3つの普通科・附属中の生徒会と協働して進めたことを皮切りに、合同で活動できる範囲を徐々に広げ、最終的に生徒会・部活動を音楽科・普通科・附属中学校にまたがる「合同生徒会」を設立する規約改正を実現します。

2026年の「第10回 日本生徒会大賞」では、この規約改正を踏まえつつ、会長2年目となった2025年度の活動が評価されました。
山田さんは1年目の任期が終わった高3の5月、これまでの通例では高校2年生が生徒会長を務めることが多かったが、規約上は高校3年生が生徒会長になってはいけないという規定はないことに気づきます。また、合同生徒会の規約改正を進めた当事者として体制定着を進めたいという思いがあったこと、高校2年次の生徒会活動を通じてやりがいや楽しさを感じていたことから選挙に再度立候補し当選、2年目の会長になりました。
しかし、2年目の音楽科生徒会長としての活動は困難の連続でした。「合同生徒会」の仕組みは出来たものの、3つあった生徒会ごとに活動の進め方の違いがあり、合同して活動する際にこの関係を調整して円滑に進める点に課題が残っていました。特に、芸術祭準備をめぐってこの課題がきっかけで普通科・附属中の生徒会や教員との間にトラブルが起こり、一時、山田さんは精神的に追い込まれ生徒会活動に参加できなくなったり、学校に通えなくなったりする事態にまで至ります。
こうした中で山田さんは、生徒会を巡るトラブルが自身の精神的不調にまで発展してしまったという問題の解決を、個人としてだけでなく「生徒会長」として取り組む方法を考えます。そして、学校を生徒の主体的な活動の基盤となるような、自分を含むすべての生徒が安心して通い活動できる場にしていく必要があると思い、学校外の機関とも積極的に相談・連携しながら問題解決に向けた働きかけを始めます。
校長室(校長・各学科の副校長などの管理職)とも複数回にわたる話し合いの機会を設け、最終的に、学校から一連の事態の中で学校の指導の仕方にも不適切な点があったとして、生徒指導方針を「管理・統制から対話・支援へ」転換すること、この点を明確化するために「生徒指導部」から「生徒支援部」へ名称を変更すること、さらに「生徒会活動は本来、生徒同士で行うことが望ましい」とする原則を再確認することなどの約束を得て、生徒が安心して通える学校改革の第一歩を掴みました。
一般に、生徒会役員はもともと人前で話すことが得意であったり、教員や他生徒との関係が良好であったりと、学校にうまく馴染みながら自分から意見できる生徒がなりがちです。そして、こうした役員が中心となって生徒会活動が進むことで、結果的に生徒会が、学校に適合した一部の意見のみを反映した活動になってしまう、といった事態が起こります。
しかし、生徒会が生徒全員を会員とする全生徒のための組織である以上、学校にうまく馴染めなかったり、自分から声をあげることが難しかったりする生徒が安心して声をあげ、活動できるような学校づくりを目指し、活動を広げていく必要があります。山田さんの事例は、自身が直面した困難をバネに、こうした現在の生徒会活動に欠けがちな部分に力を注ぎ、成果をあげた価値ある取り組みと言えます。
以下では、こうした山田さんの活動についてのインタビューをお届けします。
受賞者インタビュー
インタビュー参加者
<インタビュイー>
山田 結翔さん:国立音楽大学 ジャズ専修(ピアノ)1年(国立音楽大学附属高等学校元生徒会長)
<インタビュワー>
猪股 大輝(一般社団法人生徒会活動支援協会 専務理事)

生徒会長になったのは学校への違和感から
一般社団法人生徒会活動支援協会 専務理事 猪股 大輝(以下、猪股):
この度は日本生徒会大賞の受賞、おめでとうございます。第10回日本生徒会大賞では直近1年以内の活動を評価対象としていたので、昨年度の取り組みを中心的にお伺いできればと思いますが、その前提として、昨年度より前の生徒会との関わりを教えてください。
まず、昨年度は高校3年生で生徒会長だったと思いますが、国立音楽大学附属高校(以下、国音)では3年生が生徒会長になるのが普通だったんですか?
国立音楽大学附属高等学校元生徒会長 山田 結翔さん(以下、山田):
いえ、国音では、高校2年生が生徒会長になることが通例でした。そもそも3年生が生徒会役員になったという実例がないので、おそらく私が先陣を切ったという形になります。
私は高校2年の5月の生徒会長選挙に出て生徒会長になっています。そして1年の任期を終えてみて、もう一年やりたいぞと思ったことと、規約をよく見ると高校2年生が生徒会長になるなんて書いてないぞということに気づいて、高校3年でも生徒会長選挙に立候補して生徒会長になりました。なので、2年続けて生徒会長をやった、ということになります。
猪股: なるほど。高校2年生で生徒会長になる以前は、何か生徒会活動に関わっていたんですか?
山田: 私は小学校・中学校ともに国立音楽大学の附属ではなく、地元の公立小・中学校出身なのですが、小学校の頃に3年生と4年生で代表委員(学級委員)を務め、5年生と6年生で運営委員会(児童会)の役員を務め 、6年生の頃は運営委員長(児童会長)でした。中学校でも3年間学級委員長などをしたりして、生徒会活動に関わってきました。
初めて生徒会(児童会)活動に関与した小学3年生の時は偶々親友に誘われて軽い気持ちで学級委員を始めました。私はもともと人前に出ることは得意ではなく、話をまとめたりするのも上手な方ではありませんでした。一方で、ユニークな着眼点やアイディアを形にすることが得意で、小学生の頃にはサプライズで先生の誕生日を祝ったり、中学卒業式では、3年間の中学生活の写真を集めてプロジェクションマッピングを行ったり。
とにかく人の笑顔を見ることが好きだったし、誰かの笑顔のためだったら一生懸命になれる性格だったので、企画やイベントを主軸としながらクラスや学年・学校を牽引してきました。企画やイベントを主軸にしながらも生徒会本来としての業務をしていく中で、生徒会活動も本気で取り組めば、たくさんの人にハピネスを届けられるのでは。と思うようになっていったんです。
猪股: そのような経験もあって高校でも生徒会役員になろうと思った、ということですか。
山田: もちろんそのこともありますが、もう一つの理由として、高校に入学した後、学校に違和感や、馴染めなさを覚えたこともあります。国音には普通科と音楽科があって、私が入学した音楽科はだいたい1学年が3クラスで90人くらい、そのうち半分程度が附属中からの内部進学者でした。また、音楽科ということもあり女子が多かったので、高校から入学して、しかも共学で育ってきた私からすると、女子高に数人の男子が放り込まれたような感覚がして、出身の公立中学校とのギャップに戸惑い、馴染めなさや居場所がない感覚を持つこともありました。
私は本来のやりたい「音楽」を見失って、普通科に行きたいとか、転校することも考えるくらい、その当時はすごくネガティブ思考に陥っていましたね。
学校の雰囲気への違和感というところで言うと、公立中学校と比べたある種の「緩さ」が気になりました。音大附属ということで 、日本や世界の色々なところで育ってきた人がいて地域で集まっていた中学校までの「当たり前」が「当たり前ではない」ことに衝撃を受けました。
例えば、授業中に大半の人が寝ていたり、規則がはっきりしない中で、何となく規則を守ったり守らなかったりで過ごしている雰囲気だったり、クラス全員での話し合いの場が少数での雑談の場のまま1時間が終わったりしていました。
高校1年生の時には生徒会があるのかや、何をしているのかもよくわからないような状態だったので、まずは役員ではなく学級委員として関わってみたのですが、高校2年生になる頃には、こうした環境、雰囲気を変えたいし、このまま不満を抱えたまま動かないことも「嫌だな」「悔しいな」と思って5月に生徒会長に立候補し、当選することができました。
猪股: 違和感を覚えたときに、そこから離れてしまう人も多くいると思いますが、むしろ自分から変えようとする点は山田さんのご性格なのかなと感じます。高校2年生の時の生徒会役員にはどんな人達が集まっていたのでしょうか。
山田:学校内でも学校のやり方に不満を持っている生徒は多くいました。でも私は不満を口にしているだけでは何も変わらないし、意見を届けることさえもできないのではないか、と思い、自分自身がこれから2年間過ごすことになる場所なのであれば、自分の手で、生徒の声を背負いながら、少しでも過ごしやすい国音に変えたいと思い、「真面目にやった者が損をする場所だ。」と言われていた国音の生徒会に飛び込みました。
生徒会長選挙は信任選挙で、音楽科の役員8名のうちほとんどが役員経験のない新規の役員で、7名が男子、6名が高校入学組といった構成でした。結果的に自分と同じような境遇の役員が集まって、学校への課題意識も共有出来ていたので、さあ頑張るぞ、といった感じで役員全員が一心同体となり無我夢中で活動に取り掛かっていきました。
音楽科は生徒会の基盤が作られておらず、まずは意見箱を作ったりするなど、ほぼ一からのスタートでした。本気で生徒会活動と向き合い居心地の良い空間にするために生徒会室の清掃から始めたのは良い思い出です。
規約改正のきっかけは「勘違い」?
猪股: 審査の際に、この高校2年生の時期に生徒会の体制自体を作り変えるような規約改正まで実現したと伺いました。どうしてそこまで活動を進められたのでしょうか。きっかけなどあれば教えてください。

山田:実は最初は「勘違い」だったんです。国音では普通科・音楽科・附属中学校で生徒会が分かれていて、生徒会役員や予算、委員会、部活動は別々でした。
活動もそれぞれで、普通科生徒会が主催してスポーツ大会や部活動発表会、3年生を送る会などを行ったり、音楽科生徒会では 地域謝恩コンサートや、医療機関等への出張コンサートを行ったりしていました。
学校全体で9月下旬に行う芸術祭のみ、校内装飾などの役割分担をする話し合いを持ちますが、話し合いの後はそれぞれで進めることが通例だったようです。ただ、この年は私が役員になったのが初めてで前年までの勝手がわからなかったので、てっきり芸術祭準備はずっと合同で行うものだと思って進め始めてしまいました。
普通科の生徒会長は役員経験者だったのですが、こうした進め方を温かく見守る役に徹してくれて、この年は芸術祭準備を合同でやることになりました。
結果的に、生徒会が合同でアーチを作ったり、「Best・of・KUNION」という芸術祭の出し物に対する投票企画をやったり、ICTを活用したデジタルスタンプラリーやアプリを作ってデジタルパンフレットを作ってみたり、高校生のみが出演できる後夜祭では、音楽科・普通科の生徒会役員でワンチームとなって生徒会をしてきたことを生徒のみんなにも知ってもらうために、私が編曲した楽譜で演奏をしたりもしました。
初めてのことだらけだったので、最初はアーチの作り方など何もわからない中だったのですが、これまであまり交流のなかった人たちと、科を越えてみんなでホームセンターにアーチの材料を買いに行ったり、どうやったらうまく立つんだろうと悩んだりと試行錯誤をしていく中で、生徒会役員同士の絆も深まり、先生たちも様々なアイディアをくれるなど支えてくれました。
結果的に芸術祭の企画はとても好評で、特にアーチは生徒会役員以外の生徒や先生方、来場者からも絶賛の声が上がりましたし、科を越えた役員のつながりもできました。

「アーチ」制作の様子(山田さん提供)
猪股:そこから「合同生徒会」までつながっていったんですね。
山田:はい。芸術祭準備で関係性ができたことをきっかけに、例えば、自販機の中身の入れ替えアンケートを合同でやろうとか、意見箱にあがった意見を共有しようとか、エコキャップ運動をやろうとか、校内でのスマートフォン解禁に向けて一緒に動こうとか、芸術祭だけでなく合同で活動を進める流れができました。
それで、1月頃に音楽科の生徒会会則を一度全撤廃して再構築しようと動き出し、その際に、3つの生徒会のうえに「合同生徒会」というものを置いてはどうか、と先生たちに提案しました。そうしたら、先生たちの側でもちょうど部活動を共同化しようという話がでているということになって、一体になって進みました。
最終的には、順番が少し変なんですけど、先生たちの側で部活動を共通化するという話が決まって新年度の4月から動き始めて、生徒会の側でも少し遅れて4月中には会則改正が承認されました。

2年次に一緒に活動した最高の生徒会役員の仲間たち(山田さん提供)
2年目の生徒会長は困難つづき
猪股:先ほども伺いましたが、山田さんは高校3年生でも生徒会長になられたそうですが、その経緯を改めて教えていただけますか。
山田:高校2年生の時の生徒会活動がとても楽しくて、周りも頑張りを認めてくれて、生徒会が、自分が活躍できる「居場所」であると感じるようになっていたことがあります。
また、立ち上げた「合同生徒会」の仕組みを定着させることに責任感を感じていたこと、規約をよく読んだら高校3年生でも生徒会長になれる、ということがわかって、5月の選挙に立候補しました。
反対の意見をもつ先生もいるということも小耳にはさんでいましたが、昨年一緒に活動してくれた役員たちが私と一緒に国音の大改革を続けたい、私が会長なら生徒会役員を続けると言ってくれたおかげで、続ける決心をしました。
会長は競争選挙になりましたが、同級生やその他の学年の生徒からも支持してもらい得票数は信任投票の役職の人の票数を上回る勢いで、無事に2期目の音楽科生徒会長に当選することができました。音楽科の新役員は自分を含めて7人が役員経験者(うち4人は附属中学校で生徒会役員を務めていた)、男女比は半々で、私だけが高校3年生、という構成でした。
猪股:高校3年生の生徒会活動で様々に難しいことがあったと審査の際に伺いました。差し支えない範囲でこの点を聞かせてください。
山田:時期が前後しますが、まだ旧役員として活動していた4月から、合同生徒会として活動する難しさを感じる出来事がありました。生徒会や部活動が合同化したので、生徒会予算も合同化するということになったのですが、もともと音楽科は予算案を策定する際、主に教員が決めていました。一方で、普通科は生徒会役員、部長、委員長、学級委員などの生徒が関わって中央委員会という組織で予算編成が行われていました。
私自身は参加した全国生徒会大会2025などでの学びから生徒が自ら予算案を策定するべきだ、と考えていたので、普通科の方法に合わせて編成をしようと普通科の会長と話していたのですが、ちょうど4月に教員側の生徒指導部長が交代になったり、生徒会担当教員が大幅に変わったことが影響してうまく調整できず、一悶着ありました。
猪股:活動が始まってからも難しいことが続いたんでしたね。
山田:はい。特に芸術祭準備が本当に大変でした。合同生徒会を設立したものの、内部でのルール策定や体制整備が追いついていなかったこと、そして年度が変わって生徒会役員、担当教員体制の大幅な変化があったこと、合同生徒会は人数が多く情報共有が極めて難しくなったこと、それぞれの生徒会が大切にしている価値観や指導方針のズレが生じたこと などで、連携がうまく機能しなくなり、様々な摩擦が生じるようになってしまいました 。
当時、音楽科側に生徒会経験者が偏っていたことも難しさの一因でした。どうしても「経験者がリードしている」のではなく「音楽科が単独で進めている」ように見えてしまい 他コースや教員とトラブルが起こりました。
また、生徒会担当教員も各コース5人以上が×3コースで合同生徒会になると15人以上いたため、先生たちの間でも言った言わない、聞いた聞いてないといったことが起きてしまいました。
結果的に、事実関係が整理されないまま音楽科生徒会を「悪」と決めつけたような雰囲気が形成され事実無根なのにも関わらず厳しい言葉の「指導」を受けるなど様々なことがあって精神的に追い込まれてしまい、秋頃から生徒会活動の会議に参加できなくなったり、芸術祭の前後では学校にどうしてもいけなくなって、学校のある国立までは電車で行っても、そのまま街を徘徊して帰宅することも日常茶飯時になってしまいました。
一方、私が学校に行けなかった時も、芸術祭に向けての生徒会の活動は嫌でも続くので、毎日のように夜中まで後輩とオンラインをつないで、その日どんなことがあって、どんなことが辛かったのかを聞いていました。
その時間は仲間たちを助けたいのに自分自身が学校にいけない罪悪感との戦いでもありました。後輩たちを学校に置き去りにしてなんて情けない先輩なんだろう。と涙した日も、一人でパニックに陥っていた日もありました。音楽科の後輩役員と大喧嘩になってしまうこともありました。
芸術祭当日は責任感からなんとか登校したのですが、生徒会室で泣いている役員がいたり、本当に大変な状況でした。
生徒会長として困難に向き合う
猪股:この後、山田さんは 解決に向けて行動されたと審査の際に伺いました。その動機はどんなものだったのでしょう。
山田:このままで終わってしまうことが悔しかった、という個人的な思いがまずありました。
それと同時に、私は休んでいた時にも自分が会長として何とかして後輩を助けなきゃいけない。と思っていました。しかし、「私は12月31日に任期を終えたあとや卒業したあと、どうやってこの人たちを守っていけばよいんだろう」ということに気づきます。そこから考えが発展して、生徒会長じゃなきゃできないことって何だろう。と考えるようになりました。
そして、一生懸命やった者が損をする学校なのはおかしいんじゃないかとか、生徒間のトラブルで学校に通えなくなってしまうような「安全」「安心」できない場なのはどうなんだとか。
同じようにトラブルの中で苦しんでいた後輩役員たちや、その他の生徒のことも考えると、自分にあったことをもとにしながら、学校を変えていくことも会長としての責任じゃないかと思うようになったんです。

猪股:具体的にどのように行動されたのでしょうか。
山田:学校内には先生との関係性を見ていても相談できる先がなかったので、学校外の機関に頼ることにしました。
ただ、具体的にどこに相談してよいかもわからないし詳しく調べることもしんどい。行動力はある方だったので、11月くらいから生成AIに相談先の候補や今までの記録をまとめてもらって、直接話せるところに50ページにも及ぶ資料を作成して話に行くということを何度も繰り返しました。
法務局や東京都生活文化局 私学部私学行政課にも話を聞いてもらいましたが、様々な機関に相談しに行く中で、公立と私立の壁に直面しました。国が運営している多くの機関は「私立学校には介入できない」と言われました。ではどこに相談に行けばよいのかを問うと「わからない」と言われてしまいました。
寄り添ってくれたのは民間の運営している機関でした。そこは子どもの権利を守るための機関で、基本的には子ども相談員と弁護士の2名で話を聞いてもらえます。私はその外部機関にお願いをし、解決まで一緒に取り組んでくれることになりました。
外部機関に相談に行く際にも何度も何度も躊躇しましたが、「何とか解決はしなければならない」と考えて、どう解決するかを生徒会役員一人一人と直接やり取りをしました。
生徒会役員の中には外部を巻き込むことに反対する人もいて、そろって口にしたのは「もう何が正解なのかわからない」ということでした。役員全員が疲弊し音楽科の役員の関係性も徐々に悪くなってしまいました。私は負の連鎖を断ち切らない限り音楽科の関係性も悪化するし 、私が動かない限りは誰も守れないと思って、外部機関に相談することにしました。
10年間生徒会活動をしてきた中で会長という役職がここまで重く感じたのは初めてでしたし、かつてない程の緊張感と責任を感じ、改めて「会長とは何か」「社会の示すトップとは何か」を考えさせられ、立場の高い役職であればあるほど大きな責任が伴うという意味を痛感しました。結果的に、現在の状況を解決するために私学行政課から通報してもらって副校長と面談の場を持つことができました。
そして校長室(校長・副校長などの管理職)、事務職員のトップの方、間に入ってくれた民間の外部機関、私との間で1月に話し合いの場を持ち、再発防止や安全安心な学校づくりなどの要望書を提出、3月に回答がありました。
その中には、生徒指導方針を「管理・統制から対話・支援へ」転換すること、「生徒指導部」から「生徒支援部」へ名称を変更すること、「生徒会活動は本来、生徒同士で行うことが望ましい」とする原則を再確認することなどの内容が含まれていました。
猪股:卒業した後は何か変化はありましたか?
山田:私は3月で卒業したのですが、後輩たちに聞くと、4月の始業式に校長から生徒指導部を生徒支援部に改めることやその主旨について説明があったそうで、まだまだこれからですけど、改革がスタートしたんだな、と実感しているところです。
一緒に校長室で話をしてくださった外部機関の方には本校生徒会活動がこの先、安心してできるように見守ってほしいと私からお願いをし、「何か相談事があったら些細なことでもいいから相談に来てね」と新生徒会長に伝えてくださり、定期的にやり取りをしているようです。
私のしてきた改革は最初の一歩にもならないかもしれませんが、一歩一歩着実に歩んでいる学校の様子を見て、期待したいと思うと同時に、私もできることはしっかりと支援し、後輩をサポートしていきたいとも思いました。
まだまだ道のりは長いかもしれませんが、私たち卒業生が誇れる素敵な学校になってくれることを願っていますし、私のしてきた学校改革が役立つことを願っています。
自身の生徒会活動をふり返って
猪股:昨今、こども基本法の制定などの中で、子どもの権利の保障がさらに重要になってきています。こうした中で、山田さんの取り組みはこれからの生徒会活動の形としてとても重要な取り組みだと感じます。最後に、生徒会活動への関わりをふり返ってみて、考えていることがあれば教えてください。
山田:まずふり返ってみると、生徒会をやっていて、もちろん辛いこともあったけれど、すごい楽しかったな、と今では思います。生徒会を通してつくることの出来た仲間もいっぱいいましたし、生徒会だからこそ学べることも多くありました。
私の高校の卒業アルバムの裏には、生徒会を頑張ってきた証が刻まれています。「生徒会長お疲れさま」「私たちのために頑張ってくれてありがとう」 といった生徒会の頑張りをずっと見守ってくれた同級生からの温かいメッセージです。後輩役員からも盾に入った立派な賞状をもらい、たくさんの人から「ありがとう」という言葉を貰いました。
日本生徒会大賞を取ったことを報告した時も、みんな自分事のように喜んでくれました。でもこの卒業アルバムの証も、後輩が作ってくれた賞状も、日本生徒会大賞を取れたことも、私の活動をたくさんの人たちが応援して、支えてくれたからこそ掴めたものです。 本当に感謝してもしきれません。

今は、大学で教職課程を履修しています。自身の経験も踏まえながら学ぶことに意義を感じていて、これからも学びを深めていきたいですし、生徒会で学んだことは、これからの大学生活や社会人としての生活に活きるものだと確信しています。
また、私がこの一年間で直面した壁はどこの学校でも起こり得ることだと思っています。 私が日本生徒会大賞にエントリーしたのはこの問題を社会全体で考えて欲しいからでした。
生徒会は教員と生徒の板挟みになって大きな責任を伴う役職です。この中で、教員との信頼関係を築けず問題が起こった時、現状、相談窓口はなかなか見つかりません。学校ごとにやり方が違うとされてしまう私学であればなおのことです。
しかも、学校の問題について外部組織や校長室など管理職に相談にいくことは、自分の学校が好きであればあるほど、知識を吸収して社会を知れば知るほど実際には高いハードルを感じます。こうした社会体制は「命」に関わる問題だとも思います。
だからこそ、教員を始め教育関係者や、生徒会に関わる人が周りにいる人たちには、ぜひ生徒会に関心をもち、学校内外で生徒会活動を頑張る生徒を認め、支えてあげてほしいと思います。私自身も、自分事のように寄り添ってくれた「影」の存在がいてくれたからこそ、ここまで頑張れました。
生徒会は仲間とともに困難を乗り越える中で成長し、生徒の願いを叶えられる素晴らしい場所です。自分は今回一から模索する形になってしまいましたが、今後は、こういったことの相談をどこにすればよいのか、といったことがもっと分かりやすくなると、「安心」「安全」な形で活動できるような環境になるなと感じました。
猪股:今後の活躍にも期待しています。長時間にわたりありがとうございました。
【文】猪股 大輝(一般社団法人生徒会活動支援協会 専務理事)
