[私の生徒会履歴書 #015 鈴木莉恩] 「お前は良くも悪くも唯一の会長だよ」と言われた生徒会長になった人間はどんなやつ
生徒会って何やってるの?そんなふうに思ったり、どんな人がなってるの?そんな疑問を持っている人が多いと思います。
そんな人が読んで少しでも疑問が晴れればいいなと思い、私の高校生時代の簡単な経歴をご紹介します。
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経歴 鈴木 莉恩(元 昭和第一学園高等学校生徒会会長) |
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そもそもどんな人間?
私は他の生徒会履歴書を書いているメンバーとは違い非常に頭の悪い学生でした。
中学時代は野球とゲームに明け暮れ、定期テストは下から数えた方が圧倒的に早い。内申点も2.9あったかどうかというレベル。
この高校に入学した理由も受験に失敗して入れた場所がここしかなかったからというレベルでした。
私が生徒会長を務めていた昭和第一学園高等学校は併願校として東京では有名で生徒数も非常に多く、様々な環境から人が集まっている多様性に富んだ学校でした。また、当時は今のように4コースに分かれているのではなく、基本的には「工業科」「普通科」「進学科」のような分類で分かれている学校でした。
そんな高校の工業科に属し、自動車研究部と呼ばれる実績だけは日本でも有数の強豪部活に入りながら生徒会長を兼任していたのが私です。
なぜ生徒会長になったの?
高校に1年の春に中学時代の友達から「昭和第一(昭和第一学園高等学校の通称)の工業科に入ったら人生負け組だな」と言われたことをきっかけに、どの学校にいるかではなくその環境で何を学び、行動に移したかが重要だと考えていた私は他の人が経験をしていないことをどんどんしようと考え、生徒会に所属することを決めました。
今思えば友人のこと一言がなかったら本当に腐った惰性的な日常を過ごしてなぁなぁで就職をしていたのではないかと思うので、当時の友人には皮肉も込めて感謝しています。
基本的には工業科からは生徒会役員の選出はあまりなく、普通科がメインとなっているという環境が当時はありました。
そんな中で私は工業科に進学し入学直後から「生徒会サポート委員会」という生徒会役員の元で業務の手伝いをする組織に所属しました。
その後10月の選挙で書記として生徒会役員選挙に出馬をすることを決めました。しかし、当時の生徒会役員の方々の推薦があり、副会長で立候補することに直前で変更になり、最終的には当時の生徒会顧問と生徒会長からの助言もあり生徒会長として立候補することにしました。
結果として私が調べ学校に確認して分かった範囲ではあるのですが、創立以来初めて1年生生徒会長として生徒会長に就任することとなりました。
その後は同期の仲間の支援などもあり2期連続で生徒会長として執務を執行し、任期満了にて退任することとなりました。
具体的に生徒会ってなにしてたの?
母校の生徒会は本来であれば7役で成り立つという規約があったのにも関わらず、1期目では6人しかおらず、2年生2名と1年生4名という構成で活動を行っていました。
しかし、2年生の転校と受験対策により1年生のみとなり、1年の1名はメンタルの不調により活動に参加できなくなるという今考えると生徒会としての体を保てていない1期目でした。
生徒会長としてやっていたことは以下のとおりです。
残っていたメンバーが全て工学科のメンバーであり、クラスメイトでありながらも1期目ではワンマンアーミーのような形での生徒会活動を行っていました。
そのため、1期目では2期目もやることを決めていたのでそれに向けた準備をメインに種まきを行っていました。
活動の中で自分を大きく変えることとなったのは「多摩生徒会協議会」(以下、多摩協)という組織との出会いでした。それからは学内のことは他のメンバーに基本的に任せ、私自身は学校の代表として外部の交流会などに出席し、情報を集める外交を主に担当していました。
校内では、2期目は校則を変えるために奔走し、無事に一部の校則を改正することに成功しました。
また、学校がちょうど創立80周年だったこともあり記念イベントの実施を生徒会主導で行えるように交渉なども行っていました。
この年はコロナ禍により、さまざまな規制がある中での活動であったために学校が対応策を出す前に生徒会はGoogle teamsを導入しオンラインでの活動に切り替えた他、文化祭を各クラスで動画を作成してもらいYouTubeの限定公開にて流すという方法での運営を提案し実行しました。
これらの案も多摩協に所属していなかったら思いつかなかったと思います。
生徒会としてやっていたことは以下のとおりです。
具体的に行っていたことは「交流が過去にあった他校の生徒会に片っ端から連絡を取る」「意見箱の設置と回答」「過去資料の整理」を主軸に活動を行っていました。
また本校独自のもので言うと「三者協議会」と呼ばれるPTA代表、教師、生徒会の3者が集まって意見交換をする場が最低でも年に1度設けられていたのでその準備。文化祭実行委員会の管理。「リーダー研修会」と呼ばれる各委員会の代表者を集めて意見交換を行う会の管理などを行っていました。
なぜ「お前は良くも悪くも唯一の会長だよ」と言われた生徒会長になったのか
この言葉は当時の生徒会顧問に引退の際に言われた言葉でした。
良くも悪くも行動が早く、常識にとらわれない考え方や挑戦を繰り返す。創立以来初の1年生会長を担い、オンラインでできることを良いことに夜中の2時近くまで会議をしていた。そんなイカれた人間でありながらも渡された仕事は文句を言いながらも成果を出す。今までにみたことのないタイプの人間だったから記憶に残る良くも悪くも唯一の会長だと言われたのを私はいまだに覚えています。

生徒会長として学んだことを活かして
そんな経験をした私はその経験を活かし、大学では大学祭実行委員会の委員長となり昨年まで活動を続けていました。
また、当時身につけた根性と粘り強さを活かして就職活動などを行ってきました。
もし生徒会に入るか迷っていたり、何か行動を起こすか迷っているのであれば間違いなく行動に移して1秒でも早くチャレンジすることが何よりも重要だと私は思います。
やらないで後悔するよりもやって後悔した方が100倍身につくことが多いです。
行動をしてみてください。そうすれば見える景色が変わるはずです。
これからの後輩たちが頑張って何かを成そうとすることを僭越ながら応援しています。
【文】鈴木 莉恩(一般社団法人生徒会活動支援協会 運営委員)