「生徒会」のルーツを探れ:生徒会歴史シリーズ第1回
日本中の様々な中学校・高校で見られる「生徒会」という組織が日本でいつ始まったかご存知でしょうか?
実は、生徒会は戦後、連合国総司令部(GHQ)幕僚部の部局の一つ、民間情報教育局(CIE)の指導のもと日本に持ち込まれた教育組織ですが、元となった “Student Council”とは幾分違う形で導入されたのです。今回は、日本における生徒会の始まりについて簡単に説明したいと思います。
生徒自治会と校友会
戦前、日本にはどの中等学校にも「校友会」という組織が存在し、ほぼ全ての課外活動を計画していました。校友会は、現在で言うところの「部活動」の源流となる組織で、会長は校長が務めるなど教師が主導となって管理運営を行うものでした。戦前は、管理の面において実際の責任を生徒に与えるなど自治的組織として発達した学校もあったといいます[i]。戦中、校友会は「学校報国会」という戦争協力のための組織に改組されていましたが、戦後解体され、1945年9月に出された通達「校友會新發足ニ關スル件」で再度各地の中学校に結成されました。この通達で校友会は「…學生生徒の自發的活動を活かして創意工夫の力を啓培し道義竝に情操の涵養に努めて自治の訓練を資する如く運營するもの…[ii]」とされ、会長は依然校長が務めるとあるものの、生徒が「自治の訓練」を行う組織として編成されました。
“Student Council”というワードが使われた重要な資料に、戦後日本の教育の指針となった『米国教育使節団報告書』が存在します。文中でStudent Councilは「学生評議会」と訳され以下の様に記述されていました。
学校によつては各学級または各集団から選挙された代表者たちが学生評議会として役立つかも知れない.これは特に学生側の幹部としてその権限内で行動を取り,教授会に提案や推奨を行つてその考慮を求めるであろう.[iii]
こうした提案にそって各地に出来た組織に「生徒自治会」(Self-Government Committee)が存在しています。喜多(1996)の研究によれば、生徒自治会は1946年頃からGHQの指導により全国化された組織で、「教育民主化」の一環として各校に設置されました。しかし、GHQの勧告によって上から与えられて作られた組織であったこと、先述の校友会と併せて設立されたり、校友会を改称して設立されたりしたため校友会的な体質を残したこと、教師も生徒自治会の指導法がわからなかったことなどから一般的には名目的・形式的なものにとどまっていたようです[iv]。こうした併存状態を刷新した新しい組織として、1948年以降「生徒会」が各地に設置されていきます。
「生徒会」の始まりと由来
確認される公資料のうちに「生徒会」というキーワードがあらわれるのは1949年4月発行の『新制中学校新制高等学校 望ましい運営の指針』が最初期の一つとなります。本資料では、生徒会の役割や設立について比較的詳細に記され、生徒会の役割として先述の「自治の修練」のための組織としての役割と校友会的組織としての役割の両方が与えられています[v]。1950年3月発行の『中学校・高等学校管理の手引』では、日本における生徒自治の歴史を始めとして各学校に生徒会を設立する際の方法や実際行うべき活動、教師の関与方法に至るまで詳細に記され、その中で校友会と生徒自治会の併存は解消され生徒会にまとめられるべきであると明記されています。
ところで、「生徒会」はなぜ、「生徒自治会」「学生評議会」等の別の名称を用いずに、ほぼ全国的に「生徒会」という名称で定着しているのでしょうか。もちろん学習指導要領で「生徒会」という名称が統一的に用いられているという理由からでしょうが、そもそも学習指導要領上で生徒会という名称が初めて取り上げられた時、すなわち1951年に発行された『学習指導要領一般編(試案)昭和26年改訂版』で以下のように記述されており、これが「生徒会」という名称で統一されるきっかけとなったことは確かでしょう。
この生徒会は,生徒自治会と呼ばれることがあるが,生徒自治会というときは学校長の権限から離れて独自の権限があるかのように誤解されるから,このことばを避けて生徒会と呼ぶほうがよいと思われる.この生徒会は,一般的にいうと学校長から,学校をよくする事がらのうちで,生徒に任せ与えられた責任および権利の範囲内において,生徒のできる種々な事がらを処理する機関である.[vi]
当時、東西冷戦が本格化し、日本の教育は逆コース政策の中で戦後直後標榜された民主主義教育の流れとは逆行する方向が取られていました。生徒会は、そもそもその組織内部に校友会的な保守的・管理的な側面を内包しつつさらに逆コースの教育政策の中で活動範囲を当初から規定され、更に文部省やGHQの指導のもと設置されたたため当初から活動が形骸化していたといいます。
生徒会はこうした流れの中でその歴史をスタートさせ、次第に学校教育の一環としてその存在が広く受け入れられていく一方で、組織の形骸化や活動の停滞が度々唱えられ続けてきました。本シリーズでは今後共戦後の生徒会の歴史やその思想的系譜・実態に至るまで多角的にまとめ、日本において「生徒会」とは一体何であったのかを明らかにしていこうと思っています。
参考
- 文部省(1950)、『中学校・高等学校管理の手引』、大日本印刷株式会社
- 文部大臣官房文書課(1945)、『終戰教育事務處理提要 第一輯』、文部省、pp.71-72、「校友會新發足ニ關スル件」、引用部はp.72。
- 文部省調査局(1956)、『米国教育使節団報告書』、P35より引用
英語原文は以下を参照
Department of state (1946), “UNITED STATES OF AMERICA, REPORT OF THE United States Education Mission to Japan”, pp.35 - 喜多明人(1996)、「戦後日本における生徒自治会の形成と意義-神奈川県の学校史を中心に」、喜多明人他(1966)、『子供の参加の権利 〈市民としての子ども〉と権利条約』、三省堂、pp.145-161。
- 文部省学校教育局(1949)、『新制中学校新制高等学校 望ましい運営の方針』、教育問題研究所,第十二「特別課程活動」参照。
- 文部省、『学習指導要領一般編(試案) 昭和26年(1951年)改訂版』、Ⅱ教育課程-2.中学校の教科と時間配当より
【文】猪股 大輝(一般社団法人生徒会活動支援協会 運営委員/早稲田大学教育学部)
【写真】アメリカ・ワシントンの中学校でのStudent Councilの議論風景(1942年)
投稿者プロフィール
- 1997年東京都生まれ。桐朋高等学校、早稲田大学教育学部卒、東京大学大学院教育学研究科修了。博士(教育学)。現在、東洋大学文学部助教。高校在学時は総務委員長(生徒会長)、首都圏高等学校生徒会連盟代表、生徒シンポジウム実行委員を務め、生徒会大会(首都圏)を立ち上げる。専門は教育史(生徒会成立過程史研究)、シティズンシップ教育。
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